東方文花帖 /ダブルスポイラーより射命丸文と姫海棠はたて。
最初ハタテでなくホタテだと思ってたのは絶対俺だけじゃないはず。
たまには季節感のある絵も描かないとね
手前の紅葉と展望台の所の落ち葉はもうちょっと丁寧にやるべきだったと反省。
人物を複数人入れる、画面に奥行きを出す、レタリングなど模様を積極的に描き込む、というのが最近の課題でした。
複数キャラクターを描くのはこれはもう自分が面倒くさがらずに時間をかけさえすればいいことなので置いておくとして、まず画面に奥行きを出すというのが個人的に難しい作業で、今回みたいに風景のある絵だとまだマシなんですが色面だけとか抽象的な感じの背景になってくるとやはり空間感を出すのが非常に苦手です。
でも、他の人が描いてる絵を見たときにカッコいいな、って感じるのは大抵大胆なパースを取ってたりするものが多いし、あまり簡単なアングルばかりを描いていてもダメだなと激しく思います
ただ描写が上手くても絵として、画面として面白く無ければ教科書の資料かカタログと変わらないだろうし、やっぱりカッコいい絵を描くのが目的なわけですしね
模様については最近勉強中で、和服や千代紙に使われているような和風な柄を色々調べてました。
昔は和風な物ってなんか古くさいイメージが強くて敬遠しがちだったんですが、改めて調べてみると日本のデザインは非常に優れているらしいことに気付いてきました。
写実的な模様もあってそれももちろん素晴らしいんですが、個人的に特に気になったのが草花や動物などを簡略化してそれをある形に変換したり組み合わせたりしてできる記号的な文様で、それらの記号をまたいくつか組み合わせて出来るパターンは独特のセンスがあって面白いです。
記号的な文様というと、日本の家紋とかなんかが良い例ですね。
そういう文様に幾何学文様を組み合わせたりして作られている模様に今一番興味があります。
まだ上手く説明できるほど調べたわけではないんですが、模様などはダイレクトに絵に活かすことの出来る要素だと思うのでもっと詳しく勉強したいです。
まぁ近況としてはこんな感じだったのですが、それとは別に今回の絵を描いていて気付いたことがひとつありました。
それは絵を描きだしたら、あまり他の人の絵を見ない様にした方がいいということで、今回描いてる間は家にある好きな作家さんの画集とかネットのイラストとかを意識的に見ない様にしていました。
自分はかなり他人に感化されやすいタイプの人間で、なにか良いと感じる物をみてしまうとどうしてもそれに引っ張られてしまうようです。
だから絵を描く前に他の人の絵をみると意識して、あるいは無意識にその絵柄を真似ようとしてしまって、でも結局中途半端に終わる、みたいなことが今考えると多かったような気がします。
最近は自分の絵柄に悩みっぱなしで他の人のいい所ばかり気にしていたのでそれが如実に出ていたかもしれません。
他の人の絵を見てよい所を学ぶのは絵を描く上では避けて通れないプロセスだし、寧ろ積極的にすべきことだと思うのですが、いざなにか描きだそうとするときにはあくまで自分が描きたいと思った物を描き切るようにして、他の人の描き方に左右されない様にするべきだということを実感しました。
それはごく当たり前のことなんだろうけど、知識として知ってるのと経験から実感するのとではやはり全然学び取ることが違いますね
他の人の絵を見て凹むことはこれからも多いだろうけど、少なくても自分の絵を描いてるときは自分のやりたいことを貫ける様にしたいです
長々と真面目っぽく書いたけど、まぁ要するに自分が優柔不断な性格だってだけの話なんですけどね^q^;
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(
2010/03/21)
無題
(
2010/03/17)
バランス
東方星蓮船より多々良小傘。初描き。
特に思い入れのあるキャラではないのだけどなんかふとイメージが湧いたので。
やばい、完全に迷走しだしてきた/(^o^)\
もう何がしたいんだか自分でもよくわかんない
とりあえず、いつもと同じことをやってて描けない描けない言い続けてても仕方がないので背景を描く練習にもって行ってみました
奥が青空に入道雲で、山並みと田舎道が中間にあり木陰で暗くなった手前にキャラ、というこれ以上ないくらい単純な構図。
今回はキャラ以外は全く線画をとってません。
いつも背景を描く時、どのくらい描き込めばいいのかが個人的には大きな問題になります。
線画で背景を描くときは葉っぱの一枚一枚、枝の一本一本も描きたくなってしまい、実際描くと画面がつぶれて来たりして困ってました。
アニメとかの背景だと見せ場は適度に描き込まれていて、木々の葉っぱとか省略されるべき所はパッと見てどういう感じかが解るように上手い具合に省略されていて非常に参考になります。
ただ単純にのべつ幕無しに描き込めばいいという物ではなく、全体を意識しながら描いていかないと難しいようです
僕は基本的に線画を詰めて描いていくことを良しとしてずっとやってきました。
とにかく線で描き込むことで絵に深みが出る物だと考えて、可能だったら葉っぱの一枚一枚とかも頑張って描いてました。
でも、線で物を描くとはつまり本来輪郭「線」のない現実の物をある意味現実以上に強調して描くということに他ならないわけで、画面に入ってくる物をのべつ幕無しに強調してしまっては、結局どこを見ていいのか解らない絵になりかねないということでもあります。
手前から奥までの草木を一本一本線でかくより、手前の物はちょっと線で描いたとしても、あとは色でチョチョイと描いた方がずっと見やすい絵になりそうなのは自明ですよね
描き込むことが悪いのだというわけではなく、要するに描き込みが必要な部分と、自分が思っている以上に省略したほうがいい部分が合って、両者のバランスが大事らしいということです
…なんか絵を描いてると相反するもののバランスがどうこうみたいな言い方が多い気がする。前々エントリーでもそんな感じのこと書いたし
何かを描くってことはひょっとしたら、その絵のあらゆる要素のバランスを取ることに終始する作業なのかもしれない
頭の大きさに対する体の比率のバランス、明暗のバランス、明度と彩度のバランス、レベリングとシャーピングのバランス、描き込みのバランス…
絵の中にあるあらゆる要素のバランスが綺麗に取れた時に、ようやくそれが「いい絵」と呼べる物になってるのかもしれない。
まぁただの思い違いかもしれんけど
拍手くださった方、ありがとうございます。
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(
2010/03/14)
無題
古明地こいし。描くのは二度目ですね。
カラーデザインが個人的にツボです。
特になんのひねりもないバストアップ絵。
ダメだ、完全に背景描けなくなってきた。どうしよう
最近割と時間はあるんですけど、なんか寧ろバイトとか学校とか用事があるときの方が絵を描くモチベーションが高い気がする。
時間があると安心してしまってだらだらしたり、何を描こうか悩んでしまうことが多くなる。
暇だろうが忙しかろうがどっちにしても結局何かと言い訳をつくってだらけてしまうんですね\(^o^)/
やっぱり人間性の問題か。
表題の通り、今回は「レベリングとシャーピング」について書こうかと思います。
ずいぶん前に人から聞いた話なんですが。
人が何か物を見てそれを絵に描こうとしたとき、必ずデフォルメという作業が行われてます。そのデフォルメをするときに対象の特徴をより強調することを「シャーピング(鮮鋭化)」、反対に重要でない形を省略、あるいは簡略化することを「レベリング(平均化)」と言うのだそうです。
普段描いているイラストで例を言うと、キャラクターの目を大きく描いたり漫画的なオーバーな表情を付けたりするのは「シャーピング」で体の表面にできる細かいシワや、髪の毛の一本一本を描いたりせずある程度まとまりで描くのは「レベリング」だと言えます。
本物とは明らかに違うけど、特徴をオーバーなくらいに捉えていた方がずっとリアルに見えるって例は探せば沢山ありますよね。似顔絵とか。
漫画とか特にそういう感じのシャーピングが優れていて、イキイキした表現がされてます。
ではシャーピングだけが重要なのかと言えばそうではなく、どこもかしこも強調していては結局どこを見ていいかわからない絵になります。
レベリングは形や印象を大きく捉えたり、見せたい所を見せる為に重要でない部分を簡略化することで結果的に見せ場を強調する手助けをしてると言えます。
要するにレベリングとシャーピングのさじ加減が重要ってことですかね。
僕はどちらかというとレベリングを多くしてしまう傾向があるのかなとずっと考えてました。
筋肉の隆起や服のシワ、あと単純に人物の動きなどは前述の通り少しオーバーにとったほうが寧ろ生き生きとした絵になったりするんですが、自分が描くとどうしても形が狂っているようにしか思えず(実際多分狂ってる)、不安になって結局形をなだらかにしてしまうことが多いです。
だからなかなかダイナミックな動きのある絵を描いてこれなかったんですけども、そういうのはとりあえず密度を上げることで補おうとしてました。
でも紙の大きさ的に描き込みにも限界はあるし、そもそも毎回密度の高い絵を描いていく気力があるわけも無い\(^o^)/
なんかこう、大胆なパース!!みたいな絵が描きたいわけじゃないんですが、そろそろ自分の表現方法に限界を感じて来たので新しい道を開拓していかないとなぁと思ってます。
意識し過ぎて自分の絵が壊れるのはイヤなんですが、でもちょっと無理していかないとダメな時期にきてるのかもしれません。
拍手くださった方、ありがとうございます。
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